坂道の語り

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【乃木坂46】ジョーカーとは「ワタボコリ」な存在

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『ジョーカー』(原題:Joker)は、2019年のアメリカ合衆国のスリラー映画。 監督はトッド・フィリップス、出演はホアキン・フェニックスロバート・デ・ニーロなど。DCコミックスバットマン』に登場する最強の悪役(スーパーヴィラン)ジョーカーが誕生する経緯を描く。ホアキン・フェニックスがジョーカーを演じる。

(Wikipediaより引用)

 

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※ネタバレは極力含まないようにしました。でも、観てないと分かりにくいかもしれません。

 

 

世界中の多くの人を魅了した映画「ジョーカー」のメッセージ性とは一体なんだったのか。大きく分けて二つあるようにみえる。

 

  1. アイデンティティの喪失」からみる幸せとは
  2. これからも「ワタボコリ」として生きていくのか

 

である。1つ目の「アイデンティティの喪失」は幸せな状態とは何かに依存していることだということを教えてくれる。どんな宗教でもいい、スポーツでもいい、子育てでもいい、人は社会とのつながりがなんでもいいからないとすぐに潰れていくのだ。

永遠の悩みであるかのようにみえる「幸せとは」という問いには既に心理学では答えが出されている。

それは「良好な人間関係」である。

 

人間の成長過程は子ども(反応的)から一人で生きていきたいけど一人では生きてはいけないという二律背反な気持ちを持つ青春時代、そして大人(主体的)と移り変わるものだが、この映画は主人公が反応的な気持ちを拗らせたまま主体的ではない大人になってしまった男の悲しくも危ういストーリーである。大人になりきれない大人が多いこの世の中だからこそ共感を呼ぶのだろう。

そしてまさにその拗らせは「アイデンティティの喪失」からきたものである。

 

そして2つ目の「ワタボコリ」は、その軽い生き方の苦しさを訴えかけていると感じる。

ここで乃木坂46に「ワタボコリ」という楽曲があるのだがその歌詞をみてみると

 

 

ああ 僕はここで
何をやってる?
何をやってる?
一人つぶやく

ああ 僕はここで
なんで生きてる?
なんで生きてる?
誰か 教えて

どうしてこの世に
生まれたんだろう?
「産んでください」
頼んだわけじゃないよ

ワタボコリ ワタボコリ
ふわふわ 舞い上がって
ワタボコリ ワタボコリ
風に吹かれて サヨナラ

ああ 僕はいつか
何ができるか?
何ができるか?
気づくのだろうか?

仕方がないから
歩いて来たけど
僕の人生
なんてちっぽけなんだ

ワタボコリ ワタボコリ
ゴミにもなっていないよ
ワタボコリ ワタボコリ
どっちつかずで漂う
ワタボコリ ワタボコリ
こんなに軽い生き方
ワタボコリ ワタボコリ
誰も相手にしてくれない

いつも見えないのに
時々 見えるんだ
光が差し込むと
確かにそこにいる
ゴミクズ ワタボコリ
どっちがマシなんだろう?

ワタボコリ ワタボコリ
ふわふわ 舞い上がって
ワタボコリ ワタボコリ
風に吹かれて サヨナラ
ワタボコリ ワタボコリ
どこかの大事な人に
ワタボコリ ワタボコリ
僕の命をあげる

 

 

この曲で突き付けられるのは「ワタボコリな生き方」、つまり「存在しない」かのような生き方の辛さである。

誰にも相手にされない、いつも見えないのに光があたると確かにそこにいる、そんなゴミにもならないふわふわ漂うだけのワタボコリみたいな軽い生き方、、、辛い。しかし、ほとんどの人が今現在、この「ワタボコリ」ではないだろうか。

そしてこの主人公もそうである。

 

そして最終的にこの主人公が選んだのは「ゴミ」として確かな存在になる、そういう生き方だった。

「存在しない」かのように扱われるのはもうウンザリだ、と叫んでいるのだ。

 

存在しないワタボコリとして生きていくくらいなら確かに存在するゴミとして生きていこうというするその過程をみせることで、『ジョーカー』はこの社会が抱える「生きづらさ」を体現したのだ。