【日向坂46】長濱ねるの加入ストーリー
【日向坂46が結成されるまで】
おおまかにまとめております。
- 長濱ねるが特例で加入、ひらがなけやき結成、ひらがなけやき一期生募集(2015.11.29)
- ひらがなけやき一期生加入(2016.5.8)
- ひらがなけやき二期生加入(2017.8.15)
- 長濱ねるの欅坂46専任が発表(2017.9.24)
- ひらがなけやき三期生加入(2018.12.10)
- 日向坂46への改名が発表(2019.2.11)
- 長濱ねる卒業(2019.7.30)
【注】この記事の説明は1のみ。
ラジオ等で本人の口から語られた話を物語調にまとめたものです。
長濱ねるの高校以前のエピソードは1st写真集「ここから」のロングインタビューで語られておりますので興味のある方は是非、一読をオススメします。
そこは国公立大学を目指すのが当たり前で、CAになりたかった長濱ねるは専門学校を志すが、まずは国公立大学を目指しなさい、と指導する先生に違和感を抱きつつも、特別、抗うことはしなかった。
「私は何をやっているのだろう。」
隣の芝は青くみえるというが、周りの同級生達は勉強しなくても高得点を取れ、少々気後れをしていた。
このまま、なんともつまらなく予定調和に人生を進んでいっていいのだろうか。
自分の人生を他人に決められたままで本当にいいのだろうか。
違う自分をみてみたい。
ほんの思いつきのような、まさしく衝動であった。
そして、中学時代からアイドルが好きだった長濱ねるは鳥居坂46(当時)のオーディションに応募した。
ほんの気晴らしのつもりだった。
これで受からないのならばそれはそれでいい。
それなら敷かれたレールに乗って人生を難なく過ごそう、と少しヤケになっていた。
しかし、オーディションは順調に進んでいってしまった。
そして、一人で最終オーディションを受けに長崎から上京した。
ここで事件は起きた。
これまでは快く応援してくれていたはずの母が長濱ねるを連れ戻しにきたのだ。
「このままアイドルになってしまう」
とでも思ったのだろうか。少し動揺しているようであった。
しかし、無理もないだろう。両親、共に教師。
これまで進学校に通っていて普通に大学に進学をして、普通に就職をして、、
アイドルになるというイレギュラーが想像もつかず、どうしたらいいのか分からない、というのが本心だろう。
長濱ねるにはそんな母の気持ちが簡単に想像がついた。
しかし、キラキラとしたアイドルが目の前にある。
もう手が届くところにある。
やるせない気持ちが膨らんだ。
しかし、抵抗はしなかった。一種の諦めのようなものだった。
「ああ、私の人生はこうやって敷かれたレールに戻っていくんだ。」
「まあ、これも私の人生。これはこれでいいのだ。」
、、、頭では分かっているはずだった。しかし、涙を抑えきれなかった。
どうしていいのか分からずこの気持ちを今すぐ誰かにぶつけたかった。
そして、つい口が滑った。
「お母さん、これで満足?」
母に連れ戻され長崎に帰ってきてからは、ずっと泣いていた。抜け殻のような無気力感に支配され、どこに向ければいいのか全く分からない気持ちを無理やり胸にしまい込んでただただ泣いた。
そんな長濱ねるをみて父が助け舟を出した。
母も娘の可能性を奪ってしまったのではないかと申し訳なく思っていた。
そこで父は無理も承知で運営に電話をかけた。
「もう一度、チャンスをもらえないでしょうか。」
実は、長濱ねるはオーディションでは何人かしかもらえないS評価を受けていた。そこで運営は福岡で開催される乃木坂46のライブに家族を招待した。
そこでは、乃木坂46メンバーの親がどのような気持ちで娘を送り出しているのかを知ることができ、母も、みんな同じような気持ちで娘を送り出しているだと気づき、決心がついて長濱ねるに再度チャンスが巡ってきた。
しかし、最終オーディションを受けずにメンバーになってしまうと、ファンもメンバーも納得しかねない。
そこで、長濱ねるは特例という形で最終オーディションを受けずに合格するかわりに欅坂46の下部組織(今では立場がかわっている)けやき坂46に所属することが発表された。それと同時にけやき坂46の一期生のメンバーも公募された。
このような紆余曲折を経て長濱ねるのアイドル活動はスタートした。